こんにちは、heyheyです。
今日は僕の大きな反省を一つご紹介します。
内容としては、とにかく「夫」に読んでもらいたいものです。
特に、「良い夫になろう」「素敵なパートナーになろう」と思っている夫ほど読んでほしい内容です。
目次(クリックしたら飛べます)
幸せの形はひとつじゃない
これは僕たちが不妊治療をしていた時の話です。
約2年間、不妊に悩んでいました。
タイミング療法や体外受精をしたり、僕自身が静脈瘤手術をしたりもしました。
それでも、なかなか結果に結びつかなかった頃の話です。
確か、ちきりんさんのブログか本の内容だったと思います。詳しくは覚えていませんが
『幸せの形は一つじゃない。2つの軸で考えると視野が広がる』という内容でした。
『たとえ子供が出来なかったからといってそれは不幸な人生ではないし、子供ができたからといって幸せな人生でもない。子供ができなくても幸せな人生にはできるし、子供がいても不幸な人生になることも普通にある。』
僕はこの考え方にすごく共感していました。
人生は幸せを求めるためであるから、妻さえいれば十分幸せで、子供がいてもいなくても関係ないと考えていました。
アドバイスのつもりが傷つけていた
結果として、僕は子供を授かることに対して「達観したスタンス」を取っていました。
だから、妻さんにこんな言葉を何度かかけたことがあります。
「悩んでいても仕方ないことだってあるよ。たとえ子供ができなくても出来ることは沢山あるし、どっちの人生も二人なら楽しく過ごせるよ」
このセリフ、一見いいことを言っているように見える(少なくとも当時の僕は思っていた)のですが、後日、妻さんからこう言い返されてハッとしました。
「それってつまり、子供が欲しいかどうかの最終判断を全部私にゆだねてるってことじゃない?」
「何でも受け入れる⇒意思表示をしない」になりがち
ひとつ前提として話しておくと、僕も妻さんも世間一般ほど子供を切望していませんでした。
僕は上述の通り、幸せには色んな形があると思っているタイプだったし、
妻さんは子育ての不安が大きすぎて、自分が子供を持っていいものかと悩むタイプでした。
背景は全く違えど「子供が欲しい!」と強く言えない点では一致していました。
そんな中、僕が「どっちも良いと思うよ」みたいなことを言ったものだから、妻から手痛いカウンターを浴びたのです。
「意思決定を全て妻にゆだねている」
言われてハッとしたし、その通りだなとも思ったのです。
ぼく自身は「良い夫になろう」「心の広い何でも受け入れられる夫になろう」と思って出た言葉だったのですが、妻さんに伝わった内容は全くの逆でした。
子供は、授かっても授かれなくても、女性に多大なるストレスがかかるものです。
そんな状態に「意思決定のストレス」まで全て背負わせるのは酷なんだと気づきました。
もちろん、妻の意思表示がめちゃくちゃ強かったり、お互いが最初から子供が欲しいと言っている場合は全然関係のない話です。
でも、色んな価値観が乱立する現代では、僕たちのように「子供はいてもいなくても良い」と考える夫婦も少なくないと思うのです。
そんな夫婦において、「より良い夫になろう」と頑張る夫ほど、今回のような失敗に至るのではないかと思い、話してみました。
幸いというか運が良かったというか、今は子供を授かっていますが、もし今も不妊治療状態が続いていたら、
夫婦でたくさん話し合い、妻の気持ちも踏まえたうえで「夫がしっかりと意思を示すこと」が夫婦のためになるのだと僕は思います。
この話が、僕のような夫に届けば幸いです。
今日はここまでです。
いつも読んで下さりありがとうございました。